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手術を受けたのは初めてだった

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手術の日程が決まった
 思ったよりも早く、手術の日程が決まった。私の保険が7月で満期になってしまう為、7月に手術をしたいとキャンセル待ちに入れてもらっていた。申し出たのは2月だった、4月以降突然手術になる可能性があると言われた。アルバイトもシフトを2週間前までに提出するものを選んでいた。けれどラッキーなことに5月の診察で、7月の手術が決まったと言われた。7月は夏休み期間なので、希望者が多いとも言われていた。それでも、7月中に手術を受けられることになった。
手術までの準備
 藤田は大きな病院なので、手術前の説明や、今飲んでいる薬の報告や、レンタルねまきの話やら、たくさんやる事があった。一番面倒だったのは、全身麻酔になるので、家族と一緒に来てくださいと言われた事だった。親とは一緒に暮らしてないし、旦那は仕事だし、いつもひとりでひょうひょうと病院を楽しんでいた私にとって、問題だった。結局、朝早く母親を実家に迎えに行って、一緒に麻酔科の先生の話を聞いてもらった。麻酔科の先生も女性でこれまたさばさばして気持ちが良かった。7月の手術に向けて6月に採血やMRIや手術前の検査項目をこなした。
  • 手術が決まった日、婦人科の看護婦さんと手術前までにすることの確認
  • 手術前検査の予約をしてくれて、広大な病院内の位置を説明してくれた
  • 検査結果が出る頃に、婦人科の予約を入れてくれた
  • 手術費用について、限度額適用認定証の説明を受けた
  • 手術の2週間前から、病院から出ている薬以外は飲まないように言われる
  • 手術の2週間前から、同居している家族と自分の体調をメモする用紙をわたされた
  • 手術の5日前から、腸の中をすっきりさせておく薬をもらった
入院と手術日
 土曜日の朝に入院して、月曜日の朝一での手術になった。
入院する日、旦那に病院まで送って欲しいと言ったら、車で(自分で)行けないの?と言われた。あきれて物が言えなかった、旦那が入院する日がきたら、同じことを言ってやるつもり。家から30分位なので、行きぐらい電車やバスでも良かった。1つの問題は、家族と一緒に・・だった。両親はそこまで元気でないし、実家から病院まで距離があり、藤田は公共交通機関で来るのに、老人には少し不便だった。
 10時頃入院手続きをし、病棟に荷物を置くと、手術を担当してくれる主治医ではない先生がお腹に印をつけてくれた。タイミング良く、主治医ではない先生2人とご挨拶できた。お腹の印はおへその下に、◎を描かれて、ゴシゴシ洗わない限り、落ちませんと言われた。お気に入りのレギンスの裏に、その◎が写った。二人の先生もこれまた若い、かわいい先生だった。日本の未来は、このうら若き娘さんが担っているのかと思うと、頼もしかった。看護婦さんが「お昼、レストランでご家族と召し上がっても良いですよ。」と言ってくれた。タイミングよく先生達と会えた事で、あっさり入院準備は整ったらしい。ありがたく宮きしめんに向かった。ご飯を食べた後、親と旦那とはお別れし、自分の病棟に戻った。個室だったので、テレビも無料だったが、さっそく自分の基地づくりに励んだ。パソコン、扇風機、貴重品入れ、洗面台とシャワー室の整備。手術は2日後、かなりの時間があった。
 入院の日と、手術の日は家族の付き添いが必要だった。いくら口を聞かなくても、旦那の存在はありがたかった。両親もなんとか元気でいてくれて、良かったと思った。
 2日間のんびりと過ごした後、3日目の朝一で看護婦さんが迎えに来てくれた。その前の時間に家族に会えますと言われ、待合室で少し話をした。そして不足していた味噌と延長コードを持ってきてもらった。
手術室へ向かう
 手術室には、看護婦さんと二人歩いて向かった。家族に、「じゃっ」と手を振って、エレベーターに向かうと、看護婦さんからそっちのエレベーターじゃありませんと、入院病棟奥にあるエレベーターホールへ案内され、着いた階の一番おくの手術室まで向かった。朝一だからか、全ての蛇口から水が勢いよく流れていた。なんとなく魚屋みたいに思えた。
いざ、手術台へ
 毎度のごとく、生年月日と名前を伝え、腹帯やら術後着やらが手術のアシスタントの方に渡され、手術台に横たわった。テレビで見たよりも広く感じる手術室には、想像以上に機械がいっぱいあって、眩しく感じた。口に酸素マスクを近づけられて「ここから麻酔は出ていません、今から手首の血管から麻酔入れていきます、少しチクチク熱く感じるかもしれません。」と言われた後は、記憶がない。
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